夏目漱石の『倫敦塔・幻影の盾』を読みました

真面目な本

こんにちは、真理雄です。

全国的に寒くなった一日でしたね。

いよいよ外出するのが億劫になってきました。

今日は、そんな気候の中、外出先で読み終えた夏目漱石の『倫敦塔・幻影の盾』について、記事を書かせていただきます。

本書を手に取ったきっかけ

夏目漱石は言わずと知れた文豪で、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』など、数々の名作があります。

私が夏目漱石に惚れ込んだのは『坊っちゃん』からで、その後『こころ』で完全にノックアウト。

先輩教師をぶん殴るほど破天荒な『坊っちゃん』、死んだつもりで生きている先生が物悲しい『こころ』…夏目漱石に魅了された方は多いと思います。

以来、私としては夏目漱石の作品をできる限り読破したい、夏目漱石のことをもっと知りたいと思うようになり、その一環として本書『倫敦塔・幻影の盾』を手に取った次第です。

感想

「倫敦塔」で、こんな一節があります。

「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」

倫敦塔で様々な人が死んでいったことが描かれており、血塔といった文言がちらつくような、暗い雰囲気の小説です。

そんな中、突如として出てくる「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」――

あまりにも学が浅い私としては、ロンドン塔がどんな場所なのか、まるで知らなかったので、wikiで調べてみました。

ロンドン塔は監獄であり、実際に数々の人が処刑された、お世辞にも褒められた場所ではないことがわかりました。

こういった前提知識のもとでロンドン塔を訪れたら、ただの建造物ではないことがわかるでしょう。恐ろしいくらいです。

「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」とはいっても、処刑がまかり通っていた時代では、息苦しい時代だったのだと思います。

今はそんな時代遅れな出来事はないから安心して「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」と言えますね。

事実、死に急ぐ理由がないわけですし、まだまだやりたいこともたくさんあるでしょうから、「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」を否定する人は、よほどの狂人でない限り、なかなかいないと思います。

基本的には、「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」に全肯定の人が圧倒的多数を占めると私は考えています。

しかし、もし現代で戦争が起きたとしたら、どうでしょうか。

戦争と「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」は、両立しないですよね。戦争が起きれば、間違いなく戦死者が出るでしょうから。

私もあなたも、もしかしたら死ぬかもしれません。

「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」に最も逆行するのが戦争だと言えるかと思います。

一般的な感覚をお持ちであれば、誰しもが戦争反対を訴えるでしょう。右翼左翼関係なく、まともな思考ができる人であれば、戦争に賛成な人はいないと思います。

先ほど述べたように、やりたいことがまだまだありますからね。

ですが、本当に開戦となった場合、どうなると思いますか。

職場の上司や近隣の人々に、一人でも戦争に対して肯定的な人がいたら、あなたはどう思いますか。

最初は反対を訴えることができるでしょう。

これが、いつの間にか周りの人が全員戦争に肯定的、もしくは暗黙の了解となっていたら、あなたはそれでも反対できますか。

「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」という信念のもと、戦争に反対と言えますか。

私は、ほとんどの人が、「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」を捨てると思っています。

突然ですが、コロナ禍でのマスク着用について考えてみてください。

今マスクを着用している理由は、「他の人がマスクをしているから」ではありませんか。

「コロナウイルスをマスクでガードできるから」と考えている人、「無症状の状態でうつしてしまったら悪いから」と考えている人は、ほぼいないんじゃないでしょうか。

つまり、私が言いたいのは、結局何が起きても、人間は皆自分が可愛いので、自分の体面を守るために「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」を捨てて、戦争に対して反対の声を上げることはないでしょう、ということです。

自分や家族が死ななければそれでいい、と考えている人もいるかもしれません。生きているから問題ない、と。

しかし、自分や家族が出兵した場合、死なないとしても、人を殺めてしまうことはあるかもしれません。

他者の「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」を自らの手で奪うことは、その信念を放棄しているも同然だと思います。

そういった意味からしても、戦争には反対しなければならないのですが…

戦争が始まる可能性は限りなく低いから、今はそこまで深く考える必要はないと思っている人も多くいるでしょう。ちょっと、「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」に対して、拡大解釈しすぎたかもしれません。

ただ、今の視点は、あくまで「人対人」でした。

これを、「人対虫」にしてみましょう。

虫だって、「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」のはずです。

人も虫も、生きているのは同じですからね。

自宅で虫が出てきたとき、あなたはどうしていますか。

つぶしたり、殺虫スプレーなどを撒いたりしていませんか。

「虫が食材についたらばい菌がつく。自分が病気になるかもしれない。だからつぶす」そんな考えの人もいるでしょう。

本当にそれでいいんでしょうか。

Aという虫がいたとき、Aをつぶすことで今後Aが食材に触れることは防ぐことはできますが、あなたがAを見つける前、すでにAは食材に一度触れていたかもしれません。

「虫が食材についたらばい菌がつく。自分が病気になるかもしれない。だからつぶす」というのは、虫をつぶす理由になっていないように私は感じます。

第一、つぶす以外の選択もできますよね。

ティッシュでつかんで外に逃がすとか、放置するとか。

そもそも、虫が出てくるのは家の構造などに問題があるのであって、虫が悪いわけではないんですよね。

「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」を信奉している方にとって、虫というのは、まさに自分の信念を試しにきている存在と言えるでしょう。

私は、虫も自分も同じ一つの生命体であると知ってから、虫を積極的に殺すことはやめました。

それまでは虫が出てくると鳥肌が立つくらいびっくりしていたものですが、今ではなんとも思わなくなりました。

虫に対する観念が変われば、そこらへんに歩いている一般人も虫も同じようなものだと思えるようになります。

ゲジゲジが出ても、真っ黒い蜘蛛が出ても、敵視することはなくなりました。

お、出たね~、くらいの感覚です。

「生まれてきた以上は、生きなければならぬ」――

思えば、夏目漱石が到達した思想である「自己本位」と「則天去私」は、前述した「人対人」「人対虫」に対する考え方に通ずるような気もしてきました。

周りに流されずに自己を中心に考える「自己本位」と、我意にとらわれず真理に従って生きる「則天去私」は、今の時代、なかなか難しいことと思います。

ですが、ロンドン塔で処刑されなければならないような時代と違って、現代は自分の力でいかようにも人生を変ずることができる時代かと思います。

何を是として生きるか。

そういったことを、夏目漱石の「倫敦塔」を読んで感じました。

本書は「幻影の盾」なども含んだ短編小説集です。

純文学を普段読まれない方も、是非一度読んでみてはいかがでしょうか。

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